大切な友が亡くなった
四半世紀とても濃密な時間だったと思う
もちろん頻繁に会うわけではないけれど
それでも大変な時には相談し励ましてもらった
癌に侵されて「年を越せない」と言われつつ
2回も越してくれた
この間もずいぶん一緒に時を過ごした
そして毎日のように彼の出身地である逗子の写真を
撮っては送った
既読になること
返事が来ること
それが私にとっての生存確認だった
いつの日か既読にならない時が来る……
そう分かっているからこそ
「元気?」の代わりに送り続けた
癌がいろんな臓器や骨に転移しても
前向きだった友が先月末に初めて「もうあかんかも」と口にした
だから新幹線に乗ってすぐに会いに行った
なんだ、元気じゃん!
そう思えるほど、たくさんの時間を過ごすことができた
でも一緒に撮った写真には友の細くなった脚が写っていて
もしかして会えるのはこれが終わりなのかも……
そう覚悟させてくれた
それからもLINEのやり取りは続いたけれど
程なくして既読にならなかった
ついにその日は来てしまった……
仕事の予定もあったし、自分の体調のこともあったので
私は葬儀には行けなかった
でもいちばんは、友の最後の姿を見たくなかったから
亡くなる前に会った時のままの記憶で置いておきたかったから
でもふと思った
葬儀という儀式は
きちんと自分の気持ちを整理する場なのかもしれない
お別れをして前を向く過程で必要なことかもしれない
葬儀は遺された者のためにあるのだと知った
それでもいい
生きている間の記憶を最期の姿で上書きしたくない
どちらが良かったのか未だに分からない
それでもひとつ言えることは
精一杯友と大切に関われたということ
この先自分も年老いてきて
こんなに濃密に関われる人って減ってくると思う
そうやって年を重ねる度に
人も物も仕事も……断捨離されていくのかな
最高の友に恵まれて私は幸せだ
友の故郷の写真を送ることはできなくなったけれど
それでもこの目に焼き付けていたいと思う
きっと一緒に見てくれていると信じて

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